自己流パジョンのできるまで

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日本ではチヂミと言う呼び方の方が有名だが、お好み焼きに良く似た韓国風の食物を、パジョンと呼ぶ。パは葱、ジョンは粉を焼いた食物と言う意味らしい。したがって、具は葱が主体だ。因みに、玉葱の事は何故かタマネギと呼ぶ韓国人もいるが、韓国語ではヤンパ。ヤンは西、つまり西洋の葱と言う意味のようだ。

パジョンは、韓国の街中の露店で、いっこ100円~200円で買える。昼ごはん代わりにもなるくらいのボリュームだ。焼きたてが美味い!お好み焼きよりモチモチした食感だ。それから、飲み屋でキムチジョンなるものを食べた。キムチ入りのパジョンだ。真っ赤なお好み焼きと思ってもらえればよい。そこそこ辛かったが、お陰で杯が良く進んだ。

我が家に帰ってこれを再現しよう、と試みたものの、全く同じ味にはならなかった。そもそも材料が違う…。キムチがないので、コチュジャンをしこたま入れる、本当は魚介類も入るはずだが、経済的菜食主義の我が家でそんな贅沢はできない。具は葱のみ!?二回目に作った時は、たまたま韓国帰りで屑海苔が山ほどあったので、これまたしこたま入れてみた。納豆も入れてみたが、これはイマイチ。かろうじて、上新粉は揃えた。うん!モチモチしている!ごま油で風味付けをするとなんだかそれらしくなった!

初めてパジョンの存在を知った時、「げ、葱のお好み焼き?」とのけぞった。韓国では子供も大好きなおやつだという。なんちゅう大人びた味覚の子供たちだ。筆者は子供の頃、葱が嫌いだった。今でもそれほど好んで食べるわけでもなく、薬味として用意してあっても滅多に入れない。が、今回パジョンを作った時は、何せ具が葱だけなものだから、とにかく葱を大量に入れた。極太葱を丸々3本刻んで投入した。全部一人で食べた。生まれてこの方、一度にこれほどの葱を食したのは初めてである。

いつもそこにキムチ

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カナダにいる時に二ヶ月ほど通った語学学校では、生徒の殆どは韓国人と日本人で占められていた。そんな訳で韓国人の知人がいくらかできたのだが、彼らといったら、二言目には「キムチ」、写真を撮る時も「キムチ」、カナダの不健康な食生活に辟易して(うん、これはわかる)、やはり二言目には「コリアンフード」。

筆者自身は、長く日本を離れていたからと言って、それほど日本食が恋しくなった事もなく、巷に溢れるインチキ寿司屋にわざわざ入ろうとは全く思わなかったし、中華系のマーケットで比較的安く手に入る、日本食材を買う事も稀だった。

しかし、彼らは違う。たとえ本国の値段の倍はしても辛ラーメンを買ってきてランチにする。日本製の海苔に胡麻油と塩をしいて韓国風に仕立て、韓国海苔巻きの「キンパッ」を作る(大量に作って日本人も含むクラスメイト全員に振舞っていた!)。果てはキムチまで作ってしまう。

この、異常なまでの韓国食に対する執着は何だ!?

当時筆者には、これは異様に映っただけだったのだが、本国で常に韓国の人々と食事を共にする事でその理由が見えてきた。彼らの食生活の殆どは韓国食で占められているのだ。

まず、チョンジュに住む友人のお宅に泊まったのだが、朝から多種多彩なおかずのオンパレード。日本でもお馴染みの白菜のキムチは勿論、その他に数種類のキムチ、春雨の炒め物、果てはプルゴギまで。これらを朝から用意していたお母さんは大変そうだったけれど、これだけしっかり食事をしていたら、一日三十食品目摂取するのは実に容易い。韓国人にとっては当たり前過ぎて別に目標にするほどの事でもなさそうだ。

そして、街中で見かける韓国食の店の多さに驚いた。家庭で食べる普通の食事が外食でもできてしまう。また、屋台やフードコートでも韓国食はあって当たり前。勿論、洋風や日本風の食事ができるレストランもあるが、何と言っても主流は韓国の家庭料理の店だ。一体、「日本食」として我々が外国人に紹介できる料理がこれほどあるだろうか、と、ふと思った。

ソウルに戻った初日、マジックショーのリハーサルがあり、その後スタッフの方達と夕飯を食べに行ったのだが、ここでも韓国ならではの焼肉。朝になっても腹がもたれる感じだったので、何か軽い物をという事で、後輩Nと一緒に外へ繰り出し、道端の露店で「キンパッ」を買った。韓国の街中では、ちょっとした食べ物を売る様々な露店を見かける。そしてどれもがそこそこ美味い。

お昼御飯は弁当を戴いたのだが、日本と同じく、ご飯と数種類のおかずが詰められた物。欧米ではまず見られない類似性に思わず嬉しくなったが、当然の事ながら、おかずは全て韓国式で、少々辛め。しかし、北米の「伝統的」ランチ、ピーナツバターのサンドイッチで昼食を取った気になるよりは余程健康的だ。

そして、夜は夜でプルゴギの鍋。更に二次会、三次会へ。三次会は夜半過ぎだというのにまたまた焼肉だ。韓国の飲食店の常として、注文した品以外にわんさかキムチの皿が並ぶ。韓国人達はこれらの野菜と肉とをバランス良くつまんでいた。古いキムチで焼肉を包んで食べると美味いんだとか、ご飯を口に含んだ後、スープの汁を流し込んで食べるのがオツなんだとか、韓国の人々は誇らしげに自国の食文化を紹介してくれた。

また、ハンジョンシク(韓定食)と呼ばれる小皿の並びまくったメニューでもてなして戴いた事もある。こういった場では「机の脚が折れるほど」皿を並べるのが礼儀らしく、その品数の多い事と言ったら!「次はこれ、次はこれ」と、好きなおかずを少しずつ、好きなだけ食べて良いのだが、とてもじゃないが全員でも食べ切れる量ではなく、場を離れる時、なんだか勿体無い、と、残ったおかずの行く末が気になってしまった。が、客が残さず平らげるほどの量しか出さないのでは、その食堂の名折れになるのだとか。

そんなこんなで韓国滞在中は韓国料理しか食べなかった。それには筆者が客人であったという事も関係していたかもしれないが、それにしても韓国人の韓国食との密着ぶりは日本における日本食へのそれとは比較にならないほど濃厚だ。彼らが外国の地であれほどキムチを恋しがっていたのにはこんな背景があったのだ、と思い当たった次第である。

ところで、この韓国旅行の直後にやはりマジック絡みでオランダへ行ったのだが、そこでまた韓国人の知人と再会する。日本人よりも団結意識の強い彼らは、常に群れ固まり、そして揃って深夜のキムチパーティーに出掛けて行った。オランダでキムチ!?なんとオランダにもキムチ工場があるという!!!韓国人のキムチパワーは侮れない!

バンクーバーの寿司は美味いか!?

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ワーキングホリデー時代、2ヶ月だけ寿司屋で巻物職人をしていた。実はそれまでチラシ寿司でさえ作った事もなかったのだが、初日にいきなり「こうやってこうやるのだよ」とちゃちゃっと教えられ、ハイじゃあよろしく、と、いきなりカウンター前の調理台に立たされたのである。こんな俄か仕込みのバイトを使うなんて、ここの寿司屋は三流に違いない、と思った。一応板前は日本人だったが、事実、使っている材料は冷凍物が多く、少なくとも日本の超一流寿司屋に肩を並べられるものではないと思っていた。

ところが。

5年後、二度目にカナダを訪問中、カナダ人の知り合いに二度ほど寿司をご馳走になった事がある。他の寿司屋で食べるのは初めてのことだった。一回目に連れて行かれたのはショッピングモールの中の回転寿司。「寿司をご馳走しよう」と、如何にも羽振りの良い事を言われたので、内心結構期待していたのに、コレである。しかし、日本の回転寿司はこの頃侮れない。相手のカナダ人もここの寿司は結構美味いと太鼓判を押す。一縷の望みは捨てなかった。が、閉店間際だったため、主だったネタは殆んど切れており、回っているのは干からびて不味そうな物ばかり。「注文しても良いよ」と相手が言うので、そうしてみたものの、ネタ切れのためロクな物は残っていないし、サービスも粗悪で、頼んだ物がなかなかやってこない。やっと出てきたと思った「てんぷら巻き」は、中身が何なのかよくわからない代物で、脂っこくて、とにかく不味い。「カナダの寿司は日本のと違うって聞いたことがあるけど、これなんかもそう?でも結構美味いよね」などと本気の顔で言ってくるからますますげんなりしてきた。

二回目はランチタイム食べ放題の寿司屋で、店の名はれっきとした日本語表記、しかし、従業員は全員中国人であった。今度はネタ切れなどという事もなく、頼んだ物が全て出てきたものの、その一つ一つの小さい事!てんぷらは相変わらずべとっとしているし、鮭皮の香ばしさが売り物のBCロールも焼き加減が甘い。しかし、相手のカナダ人は「う~ん、うまいね!」と、かなりご満悦のよう。相手の奢りなので下手な事は言えなかった…。

そんなこんなで、それまで三流だと思っていたバイト先の寿司屋が、まあ、相変わらず三流には違いないのだが、バンクーバーではマシな部類に入る事実に気が付いたのだった。

また、バンクーバーにフリーツアーで遊びに来た友人が、ツアーのフリーオプションである「寿司ディナー」を食べてきて一言、「みごと最悪、disgusting」だったそうだ。筆者は実際には食べていないので、何処がどう不味かったのかわからないが、フリーの企画なんてそんなものである。大体、カナダに来てまで何故日本食を食べさせようとするのか、旅行社の考える事はよくわからん。カナダの方がネタが新鮮で美味しい、ならともかく。しかし、そんな風に勘違いしている人は多いらしい。

そう言えば、寿司屋でバイトしていた時分、ワーキングホリデーか留学でこちらに住んでいそうな日本人の男の子と、彼を訪ねて日本からやって来たと思われる友人らしき人が2-3人、カウンターの前に陣取っていた事がある。「美味しい~!」とばくばく寿司をがっつく友人たちに向かって、長期滞在者らしきその男の子は、実に得意げにこう言った。「そりゃそうさ、だって、ネタが違うんだもん!」…お~い、どのネタの話ですか~???ウチのネタは殆んどが冷凍なんですけど~?、と、勿論そんなことは言いはしなかったものの、彼の知ったかぶり振りは爆笑物だった。

バンクーバーは日本人在住者が多いせいか、寿司屋の数もザラじゃない。中には上のような他のアジア人経営の怪しい店もあるから、ひょっとしたら、日本国内の同じような市街地よりも密度は高いかもしれない。しかし、その半分はファストフード感覚なものだ。また、怪しい巻き寿司の数々が余程ポピュラーなこの地では、高い技術が必要な「握り」の腕はそれほど必要とされないのかもしれない。何しろ「型抜き寿司セット」で作った寿司でも満足してしまうようなレベルの客層なのだから…。

寿司屋で働いていたせいもあるけれど、筆者のような中途半端な長期滞在者はカナダにいてまで、わざわざ寿司なんか食べに行かないものだ。ひょっとしたら、筆者が知らないだけで、何処かに超一流の寿司屋が存在するのかもしれない。カナダを離れる前に、そんなものを探してみるのも面白いだろうし、また、日本ではお目にかかれない北米産メニューを食べ納めておきたいとも思っている。

アボカドの話

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最近だんだんポピュラーにはなってきたものの、未だに「アボカドを食べた事ない」「あるけど不味かった」という話をよく聞く。そして不味かったという人の大半は、食べ頃でない物を食べてしまったのがそう思った原因である事が多いようだ。

アボカドは、皮の色が真っ黒になり、少し力を入れて触るとヘタがポロリと落ちる時、それが食べ頃なのである。早過ぎればゴリゴリしていてあの独特の食感を楽しめないし、遅過ぎると内部が黒く変色してしまって味が著しく悪くなる。大体店に出ているのは食べ頃前の物が多いので、買ってからしばらく室温に置いて時期を待たなければならないのだ。また、日本ではまずないが、カナダの中華系マーケットでは、食べ頃をとうに過ぎた、外見がしなびて見るからに不味そうな物を4個1ドル程で売っている事がある。これは実際、間違いなく不味いので、買わない方が良い。(←買ってしまった人)

何がきっかけだったのか良く覚えていないが、幸い筆者はアボカドとは良い出会い方をしたようで、これは好物の一つである。日本では一個100円以上するし、生鮮食品の安い北米でもそこそこ良い値段がするので、余り頻繁には買わないが、たま~に手に入ると、薄切りにして醤油をたらして食べるのが常だ。大きめにざくざく切って、他の野菜と和えてサラダのようにして食べるのも美味い。

また、カナダはビクトリアの観光案内所のすぐ目の前に、「Sam’s Deli」というサンドウィッチ屋があるのだが、ここは量も十分な上、使っている材料も新鮮で、またその景気の良い使いっぷりに頭が下がる。半分に切ったアボカドをそのままくり抜き、サンドイッチの具の上にどかっと載せ、その場で大胆にチョップして、がしっとパンで挟み込む。アボカドをオプションで付け足すと結構値がつり上がるのだが、目の前で半分くり抜きチョップを見せられてはひとたまりもない。注文したローストチキンサンドに迷わずアボカドを付け足した。

ところで、日本の皆さんは何故かこの食物のことを「アボガド」とおっしゃる事が多い。今これを読んでいて「は!」と思われた方は多いはずだ。事実、筆者は日本人が「アボカド」としっかり発音しているのを聞いた事がないのだ。スーパーの値札にだって堂々と「アボガド」と書いてあるし、某人気料理番組でも名のある料理人の方々が揃いも揃って「アボガド」と言っているので、ひょっとして自分が間違ってるの?と思ったものの、英語表記では間違いなく「avocado」だし、発音記号を見ても例外的に「が」の発音を強いるような指示はないようだ。そこで今ふっと思いついたのが、化学者の「アボガドロ」だ。確か中学から理科の教科書に出てきた気がするので、結構人々の記憶に残っている名前に違いない。この単語が頭にあって、なんだかそれに合せて「が」にしてしまっているのかもって、そんなことはないか。

全然別の話であるが、知り合いになったフレンチカナディアンの女の子が、カリフォルニアロールが好きだというので、作ってあげた事がある。その時彼女が教えてくれたのだが、まず、アボカドはフランス語では「アヴォかぁ~」と、気の抜けたような発音になるらしい。そして。なんと「弁護士」も同じ綴りで同じ発音なのだという。まあ、ネイティブスピーカーが言っているので間違いないだろうが、「なんで~?ヘンなの~」と思っただけで、その場はやり過ごした。そのしばらく後に、日本で「お見合い放浪記」というドラマを見ていたら、フランス語翻訳家の主人公がお見合いした人の職業をフランス語で次々に読み上げる場面があった。フランス語の職業名など何一つ分からない筆者であるが、一つだけ、音と意味が一致したものがあった。勿論それは「アヴォかぁ~」である。

最後にもう一つ。これは結構重要な話だ。日本の皆さんがよくおっしゃる「アボガド」だが、これはギリシャ語で男性の体の一部を表すものらしい。おじいさんがギリシャ人だというトルコ人の女の子から聞いたのだが、筆者が「アボガド」と言い間違えた時、彼女が妙に取り乱していたので、どうしたのか聞いたらそういう事だった。英語もロクに喋れない日本人がいきなり英会話の中にギリシャ語を混ぜ込むかよ~って気がしなくもなかったけれど。

そういう訳で、この場で言い間違いに気が付かれた方は、これからは改めた方が良いかも知れない。ま、ギリシャ人やギリシャ語の分かる人に会い、かつそこでアボカドの話をするような事は滅多にないだろうけれど。

刃物の話

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欧米の刃物は切れ味が悪い。どれくらい悪いかというと、よくテレフォンショッピングで切れない包丁の見本として「あ~ら、これではトマトが潰れてしまいますね」と言われてしまっているものとまさに同じくらい悪い。そしてコレが全ての家庭においての標準仕様なのである。最もマシだったのが、料理上手のゲイカップルのところの調理用ナイフだったが、それだって、種類が色々とある割にはどれもこれもいまいちだったのだ。というわけで、ちょっと長く海外に出かけ、自炊をする可能性のある時は、筆者はマイ包丁を持参する。調理をする度にトマトも切れないような刃物と格闘していてはストレスがたまって仕方がないのだ。

初めてカナダに行った時、ホームステイ先で夕食を作る事があって、この時当然、自分の包丁を使った。それを見ていたこのウチの小生意気な娘が、どうしてウチのナイフを使わないのか聞いてきた。筆者にとっちゃ、そんな理由は火を見るより明らかなのであるが、生まれてこの方切れ味の良い刃物など見たことも使ったこともない彼女にとっては、我が家のモノの上を行く刃物の存在など想像したことさえない訳で、別のモノをわざわざ取り出して使うという行為自体が奇怪だったのだろう。だって切れ味がよくないからね、と当たり前のことを言っても、信じようともしない。それどころか、「そんな筈はない、ナイフ入れには砥石がついているから、常に切れ味が良い状態になっている筈だ」とのたまうのだ。しかし、筆者にしてみれば、この標準装備の「砥石」こそが曲者だ。これはカナダの大抵の台所に置いてあるもので、入り口に砥石がついており、確かに、ナイフを出し入れする度に包丁が研がれる事になっている。しかし。このナイフ入れがある家庭で切れ味のよろしい刃物に出会った事は今だかつて一度もない。実のところ、出す時はともかく、入れる時はなんだか無理な力がかかっている感じがする。この簡易砥石が原因で、かえって切れ味が悪くなっているのではないかとさえ思えるのだ。

ところで、自慢の日本製鋼包丁も、使っているウチにだんだん切れ味は落ちてくる。日本製砥石で研ぎたいところだが、さすがに砥石までは持参しなかった。ダメもとで居候先のおじいさんに、包丁を研ぎたいんだけど無理だよね、と話をしてみたら、砥石を持っていると言う。彼の家には例の簡易砥石付きナイフ入れはなかった。しかし、だからといって(?)彼のウチの包丁の切れ味が良かったわけでもない。余り期待していなかったものの、彼が取り出したものは、カロリーメイトを縦に1.5本つなぎ合わせたくらいの大きさの、細長~い砥石だった。ま、こんな細いものでウチの大きな牛刀を研ぐのは余り理想的な話ではない。予想通り、期待した結果ではないようだ。そして、彼がこうやって使うんだよ、と見せてくれたのは、なにやらオイルをたらし、そして刃物を砥石にこすり付ける研ぎ方だった。う~む、これはますます日本製鋼包丁に適した方法ではなさそうだ…。「コレがカナダのオイルストーンさ」と、自慢げに彼は言ったものの、折角のところ申し訳ないが、オイルストーンの使用は辞退した。

因みに、彼のウチの調理用ナイフはというと、刃側の真ん中が大きく背側にへこんでいる。即ち、刃面がまっすぐではなく、波打っているのだ。コレは恐らく、このオイルストーンで真ん中だけ研ぎ続けた結果なのではないかと思われる。ところが、5年後に彼の家を訪れた時、驚いた事に彼は見事な和包丁を握っていた。彼のところには何故だか日本人の居候が度々出入りしているので、そのウチの一人が置いていったものか、あるいは波打ちナイフに業を煮やして彼にプレゼントしたのかもしれない。

また別の話だが、最近カナダで居候したウチのオバさんと一緒に、ワンタンを作った。前の旦那に習ったという、彼女の得意料理の一つである。ワンタンと言えば、作業はみじん切りに集約される。そして、彼女のウチのナイフも、カナダの家庭の例に漏れず、ストレスのたまる代物である。感じ悪いかもしれない、と思いつつも、作業効率をアップさせる方が先決だろうと考え、自分の包丁を取り出して手伝うことにした。そして、事実、作業効率は彼女の数倍以上であった。因みにこの時持っていたのは、小型のペティナイフである。本割込みと言って、外側はステンレスだが刃の部分は本鋼の刃物で、切れ味はそこそこ良く、手入れが楽だ。海外へ出かけるのに巨大な牛刀を持ち歩くのもナンだし、小型包丁が前から欲しかったので、つい最近購入したばかりだった(勿論日本で)。オバさんは感心したようにこの包丁を見つめ、それは高かったの?と訊いてきた。刃物市での特売品だったが、たかが小さなナイフごときの値段ではなく、決して安い買い物ではなかった。しかし、使い勝手はよく、払っただけの価値はある。そう言うと、「そうよね、元ダンナもそう言ってたわ。料理によく切れる刃物は重要だから、そのためにお金を払う価値はあるって。」そんな薀蓄を語れる彼のウチになら和包丁並みの良質ナイフがあるのかも~、と思ったが、確かめる術はない…。

欧米の刃物が何故こんなに切れないかというと、そもそも刃の作りが和包丁とは異なるそうだ。日本の刃物は刃先がまっすぐなのだが、欧米のものはのこぎりのようにギザギザで、つまりがしがし押し引きして切り裂くのが前提なのだとか。きちんと調べた訳ではないので、筆者自身、本当かいな?という気分なのであるが。欧米の一流料理店のシェフなんかは一体どうしているんだろうね?欧米の料理というのは、よく切れる包丁を使う必要がないのだろうか?「日本から刃物を取り寄せているって話だよ」という適当な話も聞いたこともあるが、これだって何だか怪しいものだ。

千切りキャベツの思い出

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子供の頃、千切りキャベツが嫌いだった。筆者のウチのキャベツは千切りと言いつつもそれは「百切り」状態であり、非常に不味かったからだ。外食は余りしないウチだったので、他所で「ほんもの」に巡り会う事もなく、「千切り」キャベツとはこのように太い形状でかつ不味いものと思い込んで育ってしまった。

高校の家庭科の授業で千切りキャベツのテストがあった。「効率の良い作業方」を考え出す事にかけては人一倍長けていた筆者も、そもそも千切りキャベツの定義を誤って認識していたため、ここでは何か勘違いしたような事をしてしまう。ひたすら重ね合わせたキャベツをざくざく百切り状態にし、制限時間内には誰よりもたくさんの「刻んだキャベツ」を生み出していた。隣でうす~く重ねたキャベツを実に細かく「千切り」に刻んでいる級友を見て、「アタシの勝ち」(←バカ)とか思っていたりしたのだった。それぞれの出来をチェックしに来た講師曰く、「量は合格」。しかし、この時点でも、まだ本物の千切りキャベツがどのようなものなのか、きちんと理解してはいなかった。

ところで、筆者は山小屋などの宿泊施設に住み込みで働きに行くことがよくある。携わるのは厨房仕事が主なのだが、こういった所では客の食事の付け合わせとして必ずと言って良いほど「千切りキャベツ」が供されるのだ。一箇所だけ「キャベ2」というベタな商品名の自動千切り機を備えていた所があったが、その他では包丁とスライサー併用でまかなっていた。

こういった厨房仕事の場合、客に出した食事の残った部分が賄い食となる場合が多い。千切りキャベツがちょうど切り良く終わる事はまずないので、これは毎日食べる事になる。山小屋バイト初期の頃に、これを食べてみたところ、なんと、美味いのだ!よく見るとウチのキャベツとは形状が明らかに違う。

2-3日して刻み物も任されるようになり、ハイ、じゃあ次はキャべ千ね、と言われ、見よう見まねで他の人がやっているのと同じような動作で切ってみると、難しそうに見えたが、な~んと、意外にも容易くできるではないか!なんだか面白いように細く綺麗に切れるのだ。勿論それまでにも「キャべ千」もどきはやっていた。しかし、実際のところ、それは「キャべ百」であった。包丁の音からして、「ととととと」というリズミカルなものではなく、「ざく、ざく、ざく」と、のろくて重いものだったのだ。

ところが、ウチに帰ってから同じことをしようとしたら、何故だか出来なかった。細く刻もうとすると、するっと横にそれて空振りするのだ。何故?答えはウチの包丁の切れ味が良くなかったからだ。切れ味が悪いと細く刻めない。また、押し潰しながら切る事になるので、切り口がスパッと綺麗に出ない。こうなると、食感が命の千切りキャベツは、こうも変わるのかと思うほど不味くなってしまうのだ。

ウチで美味い千切りキャベツを食べるためにはまず包丁から揃えなければならないのか!その事実に気付いた筆者は、刃物マニアの父が(こういう人がいる家庭に、何故切れ味の良い包丁がないのか不思議である…)岐阜県関の刃物市に出かける時に、自分専用の鋼の牛刀を所望したのだった。ウチを出た時には勿論これを持って出て、今日では数々の千切り野菜メニューをクリエイトするに至っている。

余談であるが、とある知り合いのお宅にお邪魔した時、時間も時間で「夕飯食べてく?」と言って頂き、ご馳走になったのだが、普段お勝手をしないお嬢様な彼女が作ってくれたのは、家庭科の教科書に出てきそうなハンバーグステーキだった。付け合わせにはキャベツ。「私、『キャベツの千切り』って余り好きじゃないんだわ」と彼女が言うのも当然、それはかつてウチで供されていたのと同じ、「百切りキャベツ」だったのだから…。

2002/12